空手の突きを何と呼ぶか。国際社会はどこにあるか。
今回も写真とは関係ない話になります。
つくづく思うけど、空手の突きをjab、straight、鉤突きをhookと言うことで、それはボクシング的な意味合いで理解されている。教える方も教わる方も英語だから仕方ない。そもそも沖縄から本土に空手が伝わった時も、琉球語から日本語に訳されたのだから、同じ現象があっただろう。
こちらに来て思うけど、文化、歴史が違えば、空手一つにしても捉え方が異なる。それはあらゆることに通じていて、社会の仕組み自体も、民主主義や人権も、日本の土台の上で新たに解釈されている。それは抗いようのないもののような気もしてきた。
日本にいるときに、国際社会とか国際化とか、色々と口にしたり耳にするが、その「国際」はどこを指しているのだろう。おそらくヨーロッパやアメリカ的なものだ。日本人が何を目指しているか、わかる。日本は常に、ヨーロッパ・アメリカ的(ヨーロッパも各国異なるし、アメリカも異なるけど)なものから自分たちはどう見えているか、国際的であるかどうかを気にしている。
ロンドンにいると様々な人がいる。イスラム教の人々やインド人、アフリカ系、東欧。みんなそれぞれの生活習慣で生きている。ガイ・フォークス(昔、王国の転覆を図った事件にちなんだ記念日)の日に花火を派手に打ち上げてお祝いしたかと思うと、数日後にはイスラム教の宗教行事で花火が打ち上げられる。まあ、イギリスはイングランド国教会というキリスト教の国だから、クリスマスには交通機関が一切ストップするし、大概のお店は閉まる。それでもイスラム系やトルコ系のお店は開いている。
2020年の東京五輪を前に日本の国際感覚が厳しく問われている、とか何とか言う人もいるけど、どこの感覚が厳しく問われてるのか考えて、自分たちはどこに向かうのか考える必要がある。